大邱慶北経済自由地域まとめ

1.経済自由地域(freeeeconomiczone)とは

経済自由地域(freeeeconomiczone)とは、産業団地が一般に韓国国内企業のみを誘致するのに
対して、海外企業を積極的に誘致するエリアを言います。

韓国は、OECD基準からすると
(1).経済規制が多い
(2).言葉の壁
(3).インセンティブが低い
等の理由から、直接投資の割合が低かったです。 
経済特区というグローバル基準の企業誘致のエリアは、仁川、釜山にはありました。

大邱慶北経済自由地域は、経済特区に比べてより自由度の高い経済地域を目指して設立されました。
 
具体的には、減免措置を受けるためには、最低投資額1000万ドルでインセンティブの対象になる。
2年目50パーセント、3年目、100%です。
地元の企業とジョイントベンチャーで全投資額に対して、最低30%以上であれば投資できます。

2.大邱での工場進出のメリット
 
現代、サムスンの大企業の生産工場が近い、日本の九州に当日中に運搬できるエリアにある
というのが目立った特徴だと思います。
ほかは、ありきたりですが、土地が安い、インフラが整っている、韓国のほかの地域に比べて台風による災害を受けない
、51の大学があり、人材が豊富ということです。
あとは、韓国は地震がないので、そのメリットもあると思います。

それから、中国との比較になりますが、空気が奇麗なので、精密機械の工場にはふさわしい立地である、財産権が日本と同じように保証されており、安心して工場を運営できるということです。
私が以前上海で働いていた時の話ですが、中国当局の方針変更により、日本企業を誘致した経済特区が突如、住宅団地に変更され、立ち退きを要求されたことがありました。社会の発展には、そういった社会全体の利益という観点から、個人の利益が制限されることにはいい面もあるとは思いますが、経済的に成熟した韓国では、そういったことはありませんので、安心して工場を移転することができます。
また、デメリットとしては、先進国の仲間入りをしているため人件費が高く、日本に近い金額になってしまうということです。

 

次は、大邱テクノポリスです。

誘致されている日本企業は、中村留精密工業株式会社です。

IMG_0504

テクノポリスの道路です。
広くて、開放的な道です。
このテクノポリスの地価は、永川特区の2倍の値段だそうです。
先ほどの永川は、少し傾斜がありましたが、こちら、テクノポリスの土地は、
なだらかな傾斜で、一層開放的です。

IMG_0503

広い道路を走ります。
左手には、国の機関があります。
テクノポリスでは、先端技術の開発が行われるため、国の機関も誘致することで、
企業の研究開発をスムーズに行えるようにしています。

IMG_0505

そのまま、直進して、山の上まで来ました。
テクノポリスを一望できる場所まで来ましたが、道路が曲がっていて、少し
方向がずれてしまいました。
この山の下に、テクノポリスが広がっています。

IMG_0507


以上で、大邱の大邱慶北経済自由地域の紹介は終わりです。




車で移動中のサービスエリアです。
綺麗な天気だったので、写真を撮りました。

大邱(テグ)は、1000メートル級の南北の山の間にあり、間に川が流れています。
いわゆる、盆地の地形のため、韓国の中で夏の気温が一番高くなる場所です。
また、盆地のため、晴れた日が多く、降水量も少ないです。
そのため、空気が乾燥しており、精密機械を工場として、適当な条件を備えています。

IMG_0500

IMG_0501


大邱(テグ)で有名な日本人は3人います。

一人は、「沙也可」です。
「沙也可」は、豊臣秀吉の朝鮮出兵で、韓国に渡って来たが、朝鮮に投降し、そのまま朝鮮人になってその生涯を終えた人物です。

もう一人は、朝鮮の日本植民地の時代に大邱の治水事業、農業の発展に多大な貢献をした「水崎林太郎」という人物です。
 彼は、岐阜町長を歴任した後、1915年に日本から大邱(テグ)に渡り、干ばつや洪水に苦しむ農民の姿を見て、治水事業に取り組んだ人物です。彼は、韓国人の生活向上のため、10年もの歳月と多大な苦難を乗り越えて、寿城貯水池を完成させました。現在、この用水は使用されていませんが、今でも彼の命日には、地元の人が来て、お祈りを捧げているそうです。

最後の一人は、ソフトバンクの孫正義です。
彼の先祖は、大邱から九州に渡ってきました。

では、これから、大邱テクノポリス経済特区に向かいます。
そこにも日本企業があるので、紹介します。 


↑このページのトップヘ